生鮮館 黒門中川

黒門中川の歴史

  • 1951年・昭和26年8月

    中川商店の開店!

    「黒門中川」の前身 中川商店の開店です。
    写真左が創設者 喜八郎の父・中川喜八です。

    中川商店の開店

    1951年(昭和26年)8月

    少年・喜八郎、14歳です

    喜八郎

    1961年

    それから10年後(1961年)店奥の方に鉄筋3階の建設が始まりました。
    喜八郎の結婚のためです。・・まずは1階部分から。

    喜八郎の結婚

    鉄筋骨組みの中に立つ・喜八。
    働き盛りの精悍な顔つきです。
    「やるぞ」という決意が伝わってきます。

    喜八

    三階屋上へと・・・

    三階屋上

    やっと3階のコンクリート部分が完成し、上棟祝いです!!
    右側は建築会社社長です。

    建築会社社長

    喜八と喜八郎。喜八郎20歳です。

    喜八と喜八郎
  • 1951年(昭和26年)秋

    中川喜八の決断によって、大阪市阿倍野区阪南町から「天下の」黒門市場に移ってきました。
    こが新たな出発です。「中川鰹節店」の開業です!

    中川鰹節店

    1951年

    木造部分・建築中!!当時(今から57年前)の現場労働者の様子が分かります。
    赤銅色の筋肉とランニングが代表的な姿でした。

    木造部分・建築中

    1961年

    すべては基礎固めにはじまります。

    基礎固め

    建設は上階へ・・・

    建設は上階へ

    1961年当時の大阪の空。
    ビルらしきものはほとんど見当たりません。

    1961年当時の大阪の空

    改めて、中川喜八。
    ここまではすべて彼の決断と功績です。
    1963年10月アメリカのスーパー見学のため
    渡米しました。そのパスポート用の写真です。

    中川喜八

    当時の一家だんらんのすがたです・・
    これも喜八郎20歳のころです。

    一家だんらん

付  録 この「中川商店」がこれから『黒門中川』に発展していきます。これは黒門中川になる時のおもて面見取り図です。

黒門中川になる時のおもて面見取り図